LOGIN「私ってそんな尻軽な女に見える?」
「いきなりどうなさったのです?」
「さっきエーリック様が仰っていたでしょ?」
お茶を注ぎながらカミラは、ああと得心がいった。
「お嬢様が他の男に心移りするかもってやつですか?」
それよそれとウェルシェは不満そうに口を尖らせた。そういう幼い振る舞いは年相応に可愛いなとカミラは思う。
「婚約者がいながら他の殿方になびくほど、私は不義理な女じゃないわ」
「恋愛は義理人情ではありませんよ?」
思いのほか男女の機微に
「猫を被ったお嬢様は理想の令嬢なのですから」
ウェルシェの容姿は控え目に言っても絶世の美少女。彼女が学園へ行けば子息達がちょっかいを掛けるのは間違いないとカミラは思っている。
「何よぉ、素の私には魅力が無いって言うの?」
「魅力はございますよ。理想ではありませんが」
一言余計よとウェルシェはぷぅっと不貞腐れる。そんな主人が可愛くて、カミラは心の中でじたばた悶えた。だが、出来る侍女は完全無表情。おくびにも態度に現わさない。
「だから、エーリック殿下が不安になる男心を分かって差し上げてください」
「ずっとエーリック様が良いって言っているのに、いったい何に不安になるのよ?」
大人さえ手玉に取る美少女もまだまだ経験不足なようだ。
カミラは色恋沙汰に疎い主人に対して苦笑いを浮かべた。
「学園には多数の殿方が集まります」
「まあ、国中の貴族子弟が通うものね」
「お嬢様が心動かされる素敵な出会いがあるかもしれません。それを殿下は心配なさっておいでなのですよ」
この男心わからないかなぁっとカミラは思うのだが、ウェルシェはいよいよぷぅっと頬を膨らませた。
「だ・か・らぁ、どんな殿方がいてもエーリック様以外はお呼びじゃないわ」
ウェルシェは
「恋は自然と落ちるものですから」
「私は敗残者になるつもりはないわよ?」
「はぁ?」
ウェルシェの頓珍漢な返答にカミラの思考がフリーズした。
「ええっと……何のお話ですか?」
いったいいつの間に勝負の話になったのか、どんなに思い返しても思い至らずカミラは首を捻った。
「何って……恋に落ちる話じゃない?」
だが、逆にウェルシェの方が意味が分からないと小首を
「だって、恋は先に落ちた方が負けなんでしょ?」
「恋愛は勝ち負けではございません!」
誰が自分の愛する主人にとんでもない恋愛観を吹き込んだのか?
「でも、お母様が仰っていたわ『恋は追ったら負けよ。男に追われる女になりなさい』って!」
(
ウェルシェは自他(他はカミラ)ともに認める腹黒令嬢なのだが、何故か母親を非常に
「結婚後も主導権を握る為に旦那様の目を自分に惹きつけられる魅力を常に磨けともご教授いただいたわ」
「確かにそう言う努力も必要ではございますが……」
「そうすれば追うのではなく
(奥様は何を吹き込んでくれやがっているんですか!?)
「私もお母様の仰る通りだと思うの。ほら、お父様ってお母様に頭が上がらないじゃない?」
怒らせて「実家に帰らせていただきます」と言われて出て行こうとするウェルシェ
グロラッハ家はウェルシェママをヒエラルキーの頂点とする超かかあ天下なのだ。
「ぐぬぬぬぬ、あれは惚れた弱みと言うやつで」
「ほらほらぁ、惚れた側のお父様はやっぱりお母様に勝てないじゃない!」
「そうなんですけどぉ、そうじゃないんです!」
「?」
言っている意味が分からないとウェルシェはキョトンと可愛い顔をする。そんな彼女に恋愛ゲームの駆け引きと恋愛の機微と夫婦間の愛情のあり方、カミラはそれらの説明が上手くできない。
もどかしさにカミラは両の指をワキワキと
ウェルシェは他人の思惑を察し大人達を翻弄するほど
「とにかく家の為にもエーリック様と結婚しなきゃいけないし、他の同年代の男の子なんて
「恋愛は理屈や損得ではないのですが……」
自分の主人の残念な恋愛観にカミラは一抹の不安を覚えた。
(まあ、損得勘定が先に立つお嬢様なら、エーリック殿下以外の男性に
出来る侍女でも今は取りあえず納得するしかなかったのだった。
――キンキンッ!剣と剣がぶつかり合い、乾いた金属音が会場に響き渡る。「てやーッ!」「ふっ!」円形の闘技場の上で、二人の男子生徒が剣を振るって戦っていた。仕切り直しと、いったん間合いを取った二人は対峙して睨み合う。燃えるような赤髪の美丈夫が、身の丈はありそうな大剣を正眼に構える。対する新緑の如き髪の少年は両手にそれぞれ剣を持ち斜に構え、右の剣を前に左の剣を後ろに隠す。――わぁぁぁあ! 埋め尽くされた観客席から歓声が沸き起こった。――剣武魔闘祭初日。マルトニア学園で武闘と魔術の祭典が始まった。学園内の各所で様々な競技が行われており、ここ闘技場でも剣闘の部『剣部門』予選が順調に進行していた。この対戦は予選第一組の決勝戦。勝者が本戦へと駒を進められる。「クライン様は相変わらずのようね」貴賓席で観戦していたウェルシェが呆れた声を漏らす。「それでも予選決勝まで進出したのは大したものです」背後に控えていたレーキは、擁護するような事を口にした。だが、それとは裏腹に声は冷え冷えとしたものだった。「相手の方……双剣とは珍しいわね」「彼は二年のラーズ・ラースです」「強いの?」いいえとレーキは首を横に振った。「弱くはありませんが、昨年は同じく予選でクラインと対戦して一蹴されています」「…&he
「ぜんっぜん上手くいってないじゃないのよぉ!」一人になると、アイリスは盛大に悪態をついた。「せっかく好みのイケメンがいっぱいいる『あな嫁』の世界に転生したのに!」アイリスは転生者である。彼女には日本人だった前世の記憶があった。前世もそこそこ可愛い容姿だったので、大学時代はオタサーに入って男子にちやほやされていた。だが、調子に乗って色目を使いまくって、男達に貢がせまくっていたのがいけなかった。痴情のもつれで刺し殺されてしまったのである。まさに自業自得、因果応報、身から出た錆。アイリスは知らないが、葬式では知人女性達からザマァと舌を出す者は多くいたが、涙を流す者は一人もいなかった。まったくもって一片の同情の余地なし。ところが何の因果か、前世で遊んでいた乙女ゲーム『あなたのお嫁さんになりたいです』とそっくりな世界に転生したのである。「前世はちょぉっと失敗しちゃったけどぉ……」アイリスはクルッと一回転すると、制服のスカートがふわりと飜る。「こ〜んな可愛いヒロインに転生できたんだからプラマイゼロよね」大きな瞳の可愛い容姿にスレンダーな身体。アイリスはヒロインと呼ぶに相応しい愛らしさだ。「神様が私を憐れんで再び与えてくれたこのチャンス、ぜぇったい物にするんだから」前世でやらかしてもなおめげないアイリスのド腐れ根性は呆れを通り越して感心すらする。「だけど問題はあの悪役令嬢どもよ」ヒロイン転生したと知ったアイリスは憧れの制服に身を包み、ウキウキ気分でマルトニア学園の門をくぐった。&nb
初夏の麦畑のような黄金色に揺れる髪。「アイリス……」少年の曇りなき夏空のように鮮やかな青い瞳が、優しく小柄な美しい少女を見つめた。すらりと細い体躯だが、少年には誰もがひれ伏す威厳がある。それもそのはず、彼はこの国の第一王子オーウェンなのだから。「君は俺が守る」しかし、少女へかけた声に威圧感はなく、むしろ慈しむようにとても甘い。微笑むオーウェンは手を伸ばした。その手が触れたのは、麗らかな春の陽射しを浴びたスリズィエの花びらのような薄桃色の髪。「オーウェン様……」少女は春の空の如き水色の瞳を潤ませ、オーウェンの胸にしなだれた。「でも、イーリヤ様をまた怒らせちゃったら私……」「大丈夫だ」オーウェンは愛しい恋人の腰に腕を回す。マルトニア学園三大美少女に数えられるスリズィエの色をした少女――アイリスの身体は細く、抱き締めれば簡単に折れるのではないかと思えるほど華奢だ。「何も心配はいらない」そんな頼りない身体も、愛らしい顔もオーウェンの庇護欲を誘う。「俺達がきっとアイリスを守るから」「でもでも、イーリヤ様は王妃様が決めたオーウェン様の婚約者だよ」「あんな奴!……母上は騙されているんだ」アイリスの憂いにオーウェンは顔をしかめた。「イーリヤの如き悪辣な女に王妃は務まらん」オーウェンの語気が荒く
「殿下はいったいどうしちまったんだ?」エーリックの私室を後にしたセルランは唖然として呟いた。「今日は堂々としすぎだし、何より冴えすぎじゃねぇか!?」いつもぽやっとしてた我が主はどこへ行った?「言葉を慎めセルラン」敬愛する主に対する同僚の失言に、ムッとしてスレインが咎めた。「エル様はもとより優秀なお方だ」「いや、殿下がそれなりにデキるのは俺も知ってるが……」「それに寛大で篤実も付け加えろ」この夢見がち主従が、とセルランは内心で毒づく。どうにもエーリックとスレインはぽやぽやしているとセルランは気が気じゃない。普通なら王位継承権第二位の座にいるエーリックはいつ謀略で潰されてもおかしくないのだ。(この国の王家の内情はあり得ないくらい清廉なんだよなぁ)エーリックもエレオノーラも王位に興味がなく、それを知っているオルメリアは彼らを擁護している。オーウェンにしても正義感が強く謀略など好まない。そんな王家の絶妙なパワーバランスがエーリックを生かしているとセルランは理解していた。(だっけど、富と権力を欲する貴族どもがどう動くか分かんねぇ)だが、セギュル夫人の例があるように、貴族達の思惑はそれぞれだ。シキン伯爵家が例外で、王家への忠誠より自分達の利権や保身を優先する者の方が多い。(だから、王妃殿下は俺をエーリック殿下につけたわけだけど)実は、セルランはオルメリアによって派遣されたエーリックの腹心兼護衛であった。もっとも、エーリック本人にも知らされていない事
「エル様、お帰りなさいませ」グロラッハの屋敷から帰宅したエーリックを迎えたのは燃えるような赤髪の少年であった。「ただいまスレイン」彼はエーリックの乳兄弟であり、今は腹心となっているスレイン・ウォードである。エーリックを愛称の『エル』と呼ぶのを許された唯一の腹心だ。「思ったより早かったじゃん」エーリックのもう一人の側近である黒髪の青年が、気怠そうな茶色の瞳をチラリとエーリックに向けた。主人相手にも粗雑な物言いをする彼の名はセルラン・セールズ。「殿下の事だから姫さんとこ行ったら、しばらく帰らねぇと思ってたんだがなぁ」ソファにだらしなく腰掛け、とても主人に対する態度ではない。が、エーリックもスレインも諦めて咎めはしない。エーリックがセルランの対面に腰を下すと、スレインが手際良くお茶を用意した。「それで、妖精の姫さんは何の御用だったんで?」エーリックが一口お茶を飲んでティーカップをソーサーに戻すのを待って、セルランが話を切り出した。「それなんだけど……」エーリックは信頼する腹心達にウェルシェがストーカーに狙われているのだと説明した。「なるほど、ウェルシェ様にそのような危機が」「すっげえベッピンさんだもんなぁ。そりゃ狙ってる男の一人や二人いるわなぁ」「だが、王妃殿下よりエル様の婚約には不可侵の下知が言い渡されているはずですが……」「ストーカー野郎なんて異常者だから常識は通用しねぇさ」「セルラン、少しは真面目に考えろ」「オレぁいたって
「くちゅん!」エーリックを茫然と見送っていたウェルシェは、小さな可愛いくしゃみをしてブルッと身体を震わせた。「どうぞ、お茶でもお召し上がって冷えた体を暖めてください」それを見透かしていたかのように、四阿のテーブルにカミラがタイミングよく熱いお茶を用意していた。「ありがとう」湯気の立つティーカップを両手で持つと、氷のように冷たくなったウェルシェの手に熱が伝わってくる。ウェルシェはふーふーと息を吹き掛けてから熱いお茶を一口すすった。熱が食道を通って冷えた身体の芯にじんわりと広がっていくのが分かる。「呆気に取られて危うく凍死するところだったわ」「まったく何をやっているんですか」「ちょっと油断しただけよ」呆れ声のカミラを睨んでウェルシェは口を尖らせた。「お嬢様もよくやりますよねぇ」カミラは空になったティーカップに新たなお茶を注ぐ。「ふふ、迫真の演技だったでしょ」二杯目のお茶に口を付けていたウェルシェは自慢げにカミラを見上げた。「青ざめた表情を作る為に魔術で循環血液の温度を下げるなんて……一歩間違えば死にますよ?」先ほどの怯えた様子はもちろん演技である。しかも、よりリアリティを持たせるため、体温まで下げる徹底ぶり。「フツーこんな事に命かけませんよね?」ウェルシェは炎熱魔術と氷結魔術を複合、応用し体温を自在にコントロールできるのだ。これには0.1度単位の緻密な温度管理が必須で、ウェルシェの繊細な魔力コントロールあっての魔術である。
――マルトニア学園入学式の日校門から校舎へと続く道にスリズィエの花びらが舞う。奥へと更に奥へと進めば、入学式が執り行われている大講堂へと続く。その中には今年入学する新入生とその保護者が集まっていた。「新入生代表ウェルシェ・グロラッハ」式が進行していく中で、一人の少女の名前が呼ばれた。「はい」凛とした声が講堂の中に響いた。
「エーリック様、いらっしゃいませ」「やあ、また来たよ、ウェルシェ」ウェルシェの予想は大当たり。「迷惑じゃなかった?」「そのようなことありませんわ」エーリックは儚げで、庇護欲を掻き立てるようなか弱い女性が好みだった。足繁く通う彼はウェルシェのかまととの完全な虜である。「エーリック様にお会いできて私はとても嬉しいですわ」「えへへへ、そ、そう?」ウェルシェの笑顔にエーリックがデレデレになる。手のひらでコロコロ転がされているとも知らずに。端で見ていたカミラはなんとも完璧な猫かぶりだと感心するやら呆れるやら。もともとウェルシェは幼少期より儚げな深窓の令嬢を演じて、海千山
「名残惜しいですが、そろそろ帰らねばなりません」「まあ、もうそんな時間なんですの?」「楽しい時間はあっという間ですね」エーリックが器用にウィンクすると、ウェルシェがパッと花が咲くように笑った。「また、あなたにお会いできる日を楽しみにしております」「私も楽しみにお待ちしておりますわ」潤んだ瞳でウェルシェから可愛く見上げられ、エーリックはすっかり舞い上がってしまった。(これって、ウェルシェも僕に恋しちゃってるんじゃない?)エーリックはカッコよく颯爽と帰るつもりだった。だが、顔は締まりがなく、足取りも地につかずふわふわして覚束ない。「あらあら、あんなにフラフラして大丈
「お初にお目もじ仕ります」目の前の少女にエーリックは一瞬で心を奪われた。「グロラッハ侯爵の娘、ウェルシェでございます」それは一分の隙もない立礼を披露する美少女だった。まさに貴族のご令嬢といった見事な所作である。ところが、それでいてニッコリ笑うウェルシェは純真無垢そのもの。自然な笑顔は貴族令嬢とは程遠いもののようにエーリックには感じられた。——







